3月第2金曜日
金曜日。開幕から1週間が経った。
雪の予報ということで、これは呼びかけがあるだろうと構えていたら案の定だった。
仕事を半日休み除雪に加わった。
試合には車で行くから給油しておかねばなるまいということで、ガソリンスタンドに寄り満タンにした。
午後から仕事を開始して2時間弱だったのか、地震が起きた。
大きな揺れだったが、震源は遠そうだった。
仕事で新潟遠征には行けないだろうと覚悟した。
と、この当たりまでは、しっかりと思い出せる。
で、この後のことを書いた。書いてみたら、ちょいと辻褄が合わない。
「あれ、でも、この段階でこれはあり得ない」みたいなところが出てくる。
そういうわけで、あの日、この後どうしたというのは棚に上げる。
Jリーグについては、第2節が中止と聞いた時は「ああ、そうですか。」くらいのものだったと思う。
多分、わたわたしていた時に聞いたのだろう。
中止と聞いても、「次節、あるいはその次くらいからはできる?」みたいな気分でいたのだと思う。
「選手は移動のバスだった。無事。」というのを知ったのは、いつだったか。ラジオを通してだな、多分。
ホっとしたはずだ。あるいは、まだ事の大きさを認識していなかったか。
どのくらいのタイミングだったか。タイミングというよりは、だんだんと情報が入ってくるようになって、じわじわと積もっていって、だな。Jリーグは「しばらくはムリ」「果たして再開なんてできるのだろうか」になった。
それは長いこと続いた。
それでもオイラなんて、かなり恵まれていた。
停電も翌日までだったし、ガソリンの行列に並ばずにいられたし、何よりも知り合いは無事だったし。
リーグ再開の日が決まったのは、いつだったか。実感がほとんど無かった。
行けるかも分からなかったし。
それが日を追うにつれ、再開できそうな気になってきていた。引っかかるものが完全にとれたわけではないにしても。
個人的には、再開には気持ちが追いつけた。
今シーズンは普通に迎えている。開幕戦ですでに歯噛みをしていることを含めて。
なんと幸せなことであろうか。
今年の3月11日午後2時46分。
松本で間もなく試合が終わろうという時間になる。
キリキリしているのか、勝利の歌を歌っているのか。
後者と信じ、そうなるべく応援する。
試合前に黙祷はあるだろうが、試合開始を15分くらい早められないか、その時間に黙祷できるように、と最初は思った。
ただ、サッカーの試合に行くことが普通の生活の一部になっている者としては、応援しているクラブの試合を見ている時間というのは、普通の、ありふれた、それでいて特別である時間だと思い至る。
その日、その時、私は普通の特別な時間の幸せを存分に噛みしめているつもりだ。
そのかわりというわけではないけれども、震災のことは忘れない。
今も避難している人、元の生活を取り戻していない人がいることを忘れない。
解決できていないことがあること(ありすぎる)を忘れない。
やることをやる。
正味な話、「大恩のある鹿島から監督で声をかけていただきましたが、今は山形の良さにとっぷりと浸ってしまったがために山形の監督を続けさせていただきます。ごめんなさい。」というくらいに山形のクラブが良くなることを期待しているのだけれど。
ということで、空席の新理事長を公募いたします。
勝手に。
スポーツビジネスに関心をお持ちの経営ができる方。
国内に40しかないJリーグクラブのトップです。ぜひ。
サッカーの経験、山形との関係、どちらも不問です。
(これまで山形で一番いい仕事をしたと評される方がそうでした。)
山形、なかなかやりがいがあるところですよ。
- 食べものが、うまい。普通のものが、うまい。
- 多くのクラブを渡り歩き、先日、地元で引退した元山形の選手や、前監督に温かい県民性と言われた。
- 山形のおもてなしスゲーと言われて、これ普通じゃないの? と思いつつも、まんざらでもないので、その気になって、もっともてなしちゃおうと思っている。
- 関東、関西、東海などに県人会があり、(県人会に限らず)応援に来てくれる。関東なんかは、こんなに? というくらいだった時もある。
- J1の楽しさを知ってしまったがために、以前あったかもしれないJ2でいいじゃないか、という考えが引っこみ、J1を熱望している。今なら熱が残っている。
- そのわりにはスタジアムにはたっぷりの空きがあるため、入場料収入アップの余地がたくさん残されている。
- 東京、神奈川、埼玉を足したよりも広いマーケットがある。面積だけど。
- 冬を耐え忍び、その分、春には喜びを発する人達が多い。
- 暑さ、寒さ、雨など、四季や気候の変化を全身で感じられるスタジアムがある。しかもサッカーをやるには無駄に広い。
奥野僚右新監督
ようやく新監督が発表された。
「鹿島に監督として戻ってくる」とキッパリ宣言した以上は、キッチリと山形をJ1に戻すという実績をあげていただきたい。
今日の会見でも目標は「J1昇格です。」(キリッ?)と言っていましたし。
Jリーグでの監督は初ということで、不安要素ともいえるけど、伸二さんの前はそういう人ばっかりだったし(あ、植木さんがいた)、JFLの草津にいたときに監督兼任選手(逆か。選手兼任監督か。)だったので、そこは心配していない。
そのころの話というのは、「サッカーがやってきた ザスパ草津という実験」という新書で読んだことがあって、地域密着ということについて、しっかりとした考えを持った人だという印象を持っていた。
そちらの面でも期待したい。鹿島の人だし。
花笠をノリノリで躍るかはわかりませんが。
2011.12.17 Ciao! THE MOONRIDERS at 中野サンプラザ
2011年11月11日と1が6つ並ぶ満月の日に、無期限活動休止を発表した6人のオジサマ方のライブに、いそいそと行ってきた。
当日の状況について興味のある方はバークスの記事でどうぞ。
ムーンライダーズ、「又、進化したらどこかでお会いしましょう!」 | BARKS
以下、個人的な雑感。
開演前の場内アナウンスの文言を考えたのは、慶一さんだろうか。
人を喜ばせるために、いろいろ凝るのが好きそうだし。
大人しく席についていたので、メンバーの入場時に聞いたのは、岡田さんの「週末の恋人」。
ほかのメンバーの曲も聞きたかった。(物理的にムリ)
全員集合して、最初に「Damn! MOONRIDERS」とアジるのだからタチが悪い。言ったけど。
総立ちで始まったのが「鬼火」で総座り。
それは、「私、若い半分に入りますね?」状態なので、しょうがないとはいえ、東京だなあ、と。
宣言していたわけではない事実上の活動休止状態から復帰した時の最初の曲(でもないか)が「Who's gonna die first?」ならば、活動休止を発表した後のアルバムの最初の曲が「who's gonna reborn first?」というのが、人をくっていて、らしいといえば、らしい。
ドントラは、30から10年づつエスカレートしていくのが、ここ何年か常だったのに、この日は50と60で。
いつか、Don't Trust Anyone Over 70 と歌わせてください。歌いづらいけど。
「Ciao!」は、それぞれが作詞作曲し、それぞれがヴォーカルという形式だったことを、ライブで知る。
本編は「スカーレットの誓い」で終了。薔薇がなくちゃ生きてゆけない。
アンコールがちゃんとあったことに、ほっとする。
アンコールでは、かしぶちさん以外のメンバーは、物販もしていたCiao!の赤いTシャツで入場。
かしぶちさんはダンディなスーツのまま。なんで? と思ったらダンスするためであった。
「花咲く乙女よ穴を掘れ」の次に「Kのトランク」。薔薇がなくちゃ生きてゆけない。
アンコール最後の曲は、「Ciao!」の最後の曲の「蒸気でできたプレイグランド劇場で」。
つまりは、そういう曲。
前の方の上から風船が降ってきて、風船を弾くのにも忙しかったので、しんみりしなかったけれど、それが無かったら、グッと来ていたかもしれない。
かすかに再アンコールを期待していたものの、「6つの来し方行く末」の録音(それぞれが、それぞれの詞を歌い、あるいは語り、最後に「Ciao」と言う)で退場し、スクリーンの三日月に詞の断片が流れる映像(「Last Serenade」をバックにして)を映し、「ビタ一文も残っていない」という場内アナウンスで畳みかけられ、その隙はなかった。
別に活動休止してもいいので、またライブやってください。